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ダーリンインザフランキスを見ました。

ダーリンインザフランキスを見ました。

最初は、「いや、ロボット乗るのにいちいちセックスの暗喩をするのくどいし、暗喩としても直接的過ぎ。絶対設定倒れになるぞ」って冷めた目で見てました。

でも、24話見終わって、確信しました。

これはすごいものだぞ!!って。

以下、ネタバレ感想です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まず、ゼロツーがかわいい。

先日見たSSSSグリッドマンが同じトリガー作品でした。

こちらは過去のトリガー作品に比べ、むせ返るようなトリガー臭を薄め、無敵の人をはじめとする「今」の閉塞感を描写し、無敵の人に対するにはコミュニケーションしかなのではないか(それが無力だとしても)という、とても慎重な提案がなされていました。

その慎重さは、今までのトリガー作品をそんなに好ましくなく見ていた僕の目からは歓迎したいものだったし、その繊細な手つきは「今」を切り取るのは必要なものだと感じていました。

 

でも、トリガーはやっぱりトリガーでした。

トリガーらしさを全然失っていませんでした。

 

ダーリンインザフランキスは、過去のトリガー作品や、さらに遡ってそのルーツであるトップをねらえ!や旧エヴァ、新エヴァすら視野に入れ、下敷きにした作品でした。

いや、下敷きというの僕が感じたところを正確に表す言葉ではない。

ダーリンインザフランキスはそれらブラッシュアップすることをめざしており、それらに今の「魂」を入れ、次に向かおうとした。そんな風に感じています。

そういう意味では、下敷きというよりは踏み台にしたと言ってもいいかもしれません。

トリガー作品の魅力はそのスピードとパワーにありました。

しかし、それはやもすると、観客を置いてけぼりにしてしまうほどのもので、そして実際にそんなことが多々ありました。ダーリンインザフランキスではその特異な設定、しかも現代とはなんの関連性もなさそうな設定故になかなか入り込めないであろう観客のために、最初はゆっくりとまるで名作劇場や恋愛ものであるかのように描写を重ねていきました。

世界の謎を解き明かすことはヒロインであるゼロツーを知ることにうまく重ねてあり、主人公は自然にゼロツーとわかりあうために、歪んだ世界を知っていくのです。

そして、ゼロツーを、1人の女の子を抱きしめるために、彼は戦いを選びます。

ゼロ年代を代表する批評概念として「セカイ系」というものがあります。

セカイ系は、2人の男女の関係がセカイによって切り離され、2人の意思に関係なくセカイの問題に巻き込まれるというものが多いように思います(ここではその定義はこれ以上突っ込みません)。ここで重要なのは、主人公の意思はセカイや物語と切り離されているというところです。ここが、ゼロ年代の空虚感や閉塞感、無力感を表していたと思うのですが、いかんせん、物語自体のパワーはセカイ系では弱いものとなってしまいます。だって、セカイ系で人生が変わったって人いないでしょう?良い悪いではなく、そういう物語なんです。セカイ系は。でもだからこそ「リアル」に感じられたんだと思います。

 しかし、ダーリンインザフランキスは違います。

フランクスは男女2人でないと動かすことはできず(この設定に対する多様性へのPCな配慮もなされています)、そして、何より主人公はゼロツーのために自ら戦いを選びます。

安彦良和の劇場版「アリオン」で主人公は民衆を救うためではなく、ヒロイン・レスフィーナを助けるためだけに権力に立ち向かいます。それでいいんですか?と記者に問われた安彦良和監督は「それでいいんです」と答えます。民衆もそれでいいんだと。

ダーリンインザフランキスでは、主人公以外の子供たちの戦いも描かれ、それぞれに理由を持って戦いに挑みます。みんな、自分の好きな人のために、一緒にいたい人のために、戦います。「それでいい」んです。

あまりにも前時代的で、ベタで、ストレートで、とても恥ずかしい物語。

それしかセカイ系のような「リアル」には対抗できない。

そんな製作者の強い意志がダーリンインザフランキスには感じられます。

ダーリンインザフランキスで語られたような「大人の未来社会」が描かれたアニメに「フラクタル」があります。

フラクタルでは、主人公は最後まで決断しませんでした。それが「リアル」だったからです。そのことで「震災後、その姿勢は支持できない」と制作に参加した思想家は批判しました。アニメ自体震災前に企画されたものであまりに言いがかりでしかないのですが、そう言った批判を覚悟してでも、決断しないことを監督が選んだのは、それがリアルだったからです。

もちろんこの「リアル」は生きていて、今の時代に決断すること、それにともなうベタやマジを引き受けることで「リアル」を失うことは想像に難くない。

それでも、トリガーはベタとマジを真正面に引き受けて、何度も何度も戦うことを決断した。それも自分と愛する人のために。

そういった物語のもつ力強さは、トリガーらしさであり、トリガーの信念なのだと思う。

その信念を貫くために、ダーリンインザフランキスは、勢いだけでなく、オタクへのフックを用意し、周到に計算して作られているように思う。その執念はすごいと思う。

ダーリンインザフランキスは2018年を代表するアニメだと思う。

なにより、ゼロツーかわいい。