アニクラはじめました

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反応の少ないアニソンDJ論

アニクラにおいて、アニソンは少なくとも二つのレイヤーをもつ。

その楽曲がどのアニメの中でどのように使われたか……そう行った情報を含むアニメのレイヤー、そして、楽曲として当たり前に内包される音楽的な情報である楽曲のレイヤーだ。アニソンDJは、その2つのレイヤーを同時に、あるいは意図的に片方を扱い、曲をつないでいかなければならない。

本来、DJとは曲を違和感なくつないでいくことを良しとする。楽曲の持つ音楽的特性の似通った曲を選ぶ事で違和感なく曲と曲とをつなぎ、曲を変えていくことで大きな展開を作ることにより、フロアにドラマを生みだしていく。そのことがDJの目的ではないだろうか。

アニソンDJも例外ではなく、曲をつないでいるという認識があるのであれば、アニソンの持つ楽曲としてのレイヤーは無視できない。よくアニソンは楽曲としてのジャンルが広いので難しいとの旨の発言を見るが、これは違うジャンルを繋がなければならないという意味ではなく、幅広い音楽性の中から似通った部分を見つけ出し繋がなければならないという意味でなければならない。楽曲的に共通点がなければ、それは並べただけにすぎず、DJ的につながっていない(ミックスできていない)からである。当然のことながら、これはロングミックスのみならず、カットインでも言える事である。

アニソンDJの場合、楽曲以外にもう1つのレイヤーも当然、無視できない。アニソン特有であるアニメのレイヤーである。アニメのレイヤーと楽曲の音楽性の間に、相関関係は基本的にはない。無関係だ。アニソンDJは全く無関係の2つのレイヤーを扱わなくてはならない。これは、何かいい例えを出したいところだが、上手い例えが見つからないくらい困難な行為である。
しかし、この2つのバラバラで相関性のないレイヤーを統合するための1つの思考法がある。これに関しては考察を進めた上で後述しよう。


アニソンは2つのレイヤーを持ち、それ故にアニソンDJはその2つのレイヤーを扱わなければならないと書いた。その1つである楽曲のレイヤーにおけるDJ行為に関しては、アニソン以外の他のジャンルのDJのノウハウが参考となるだろう。
しかしここで注意しなければならないのは、アニソン以外のジャンルにも、楽曲以外のレイヤーが存在し、DJはそのレイヤーもなんらかの形、多くは「選曲」に関わっているということだ。 アニソン以外の楽曲にも楽曲自体が内包する音楽性以外の情報が存在する。その楽曲の作成者や歴史的な背景、地域、消費形態などそれは多岐にわたる。DJは、そのプレイでストーリーを作る際に、その2つ目のレイヤーを使うことがある。例えば、同年代の楽曲を続けてみたり、同じ地域の製作者を続けてみたり、あるいは同じレーベルばかりをかけたりというプレイは、なんらかのストーリーを生む。そして、そのストーリーはフロアにも共有されることがある。それは、フロアにおけるその情報の共有の度合いによって、伝わり具合が変化する。
 その情報の共有具合が特に強く、結果、フロアを支配する場合、それはそのジャンルにおいて「お約束」となり、DJのプレイとフロアをその強度によって影響下に置く。これは、音楽的な情報とは違い、感覚的、瞬間的に共有ができない。これは知識であり、知識の共有によってのみ、もたらされるものである。楽曲に付随する音楽的な情報以外の情報…中でも共有されるべきとされる、いわば基礎知識としての情報は、ジャンルによって違いがあり、クセ、特色として、そこかしこに存在する。 アニソンDJが他のジャンルのプレイを参考にする場合、DJとして普遍的なものであるのか、ジャンル特有のものであるかは意識した上で取り入れなければならない。

長々と書いたが、アニソンにも、これらのレイヤーは存在する。アニメのレイヤーでもなく、楽曲の音楽的情報でもない、その他の情報……しかし、それらはアニメのレイヤーのもつ共有の強度に比べると、きわめて弱いものであり、多くの場合は無視あるいはアニメのレイヤーと同様のものと扱ってよい。なぜなら、フロアもまたその2つを区別していないからだ。

ジャンル特有の知識「お約束」は、他のジャンルへの応用はできない。しかし、それらが、そのジャンルらしさを構成する1つであることを意識し、そのらしさを意識的に取り込むことは出来るだろう。 


DJは何をしているか?

この問いに対して、これと明確に答えられる者はいないだろう。DJの目指すところは人それぞれであるし、またジャンルや状況によって様々な答えが考えられるからだ。 しかし、個別論ではなく、概念として区別して考えていくことは可能だろう。
ここでは、その思考の手がかりとして、1つのパーティーを1単位として捉え、視野の大きさで、DJの思考や行為を分けて考えてみたい。

まず、パーティー全体を見る視野だ。DJはパーティー全体を見て、そのコンセプトや雰囲気、客層、機材、音、タイムテーブル、様々なことを情報として捉え消化し、自らのプレイに落とし込んでいく。もっとも大きな視野、これを軍事用語やビジネス用語として馴染みがある言葉に例え「戦略レベル」と呼ぶことにしよう。

次に、1人のDJに割り当てられた時間をいかにプレイするか?という視野だ。先の戦略眼から導かれた所与の勝利条件にもっとも近づくために、いかに時間を使うか。これを「作戦レベル」と呼ぶこととしよう。

そして、もっとも小さな視点。最適解として出された作戦を実行するための視点。「戦術レベル」だ。時間を軸として考えるならばとても短い時間、具体的には、作戦として自ら選んだ要素の取捨選択や小さな決断、そしてそれを実行する技術、それが戦術レベルの思考だ。

このように、DJは時間によって「何をしているか?」が変化している。 そして、戦略・作戦・戦術という区切りにおいて、実際に行なっていることと照らし合わせ考えてみると

戦略レベルの思考=社交

作戦レベルの思考=選曲

戦術レベルの思考=曲をつなぐ技

となり、それぞれに必要な技術は、DJ社交術であり、DJ選曲術であり、DJミックス技術となる。

そして、それらを論じるのがDJ論となるわけであるが、パーティー全体における社交術、戦略面まで含めたものは「広義の」DJ論、作戦や技術を扱ったもの、つまり選曲やミックス技術を扱うものは「狭義の」DJ論と言えるかもしれないだろう。これも混同させると議論の混乱の元となる。もっともDJ諸氏は議論などしないかもしれないが。

さて、ここまでの考察とこれらを付き合わせていくならば、主にアニソンDJ論として上がりやすいものは、「狭義の」DJ論であり、アニソンが持つ2つのレイヤーにおいて、アニメのレイヤーを主眼として扱うのは「作戦レベル」、楽曲のレイヤーを扱うのは「戦術レベル」だと言えるのではないだろうか。
 

さて、ここからはしばらく「狭義の」DJ論について話を進めたい。アニソンDJ論ではなく、DJ論というからには、一般的なDJについての考察、だ。

DJプレイにおいて、選曲はミックスに大きく影響をあたえる。これは当たり前で、次に何の曲をかけるかによって、ミックスは大きく変わる。BPMは同じなのか、違うとすれば何パーセントなのか。コードは?曲調は?キックの位置は?そういった曲自身の関係はミックスを大きく左右する。これは考えるまでもない当たり前のことだ。

一方で、逆はどうであろうか。 ミックス技術は選曲に影響をあたえるだろうか?

答えはイエスである。ミックス技術は、選曲に影響をあたえる。それは影響を与えるという言葉では弱いと思われる。ある意味においては束縛するとすら言ってもいい。
DJにおいて、綺麗にミックスできるか否かは大きな問題である。極端にBPMの違う曲は選曲から外すし、コードがあまりに違う曲も同様である。キックの配置が大きく違う曲も忌避される。それらはミックスがしにくいから(もしくは不可能だから)である。

これらの技術にはDJ個人の「技術」もさることながら、機材的な「技術」も含まれている。

例えば、ヴァイナルによるプレイであれば、機材的な制約は大きくなり、選曲を拘束することだろう。機材による選曲への拘束は、不自由だと捉えることもできるが、特色と捉えることもできる。

もちろん「作戦的」にその選曲が、大きな意味を持つ場合は、そちらを優先されることもあるだろうが、一般的なDJプレイではやはり少数であるジャンルが多いだろう。

では、あらためて何故「綺麗なミックス」はより優先されるべきなのだろうか?

パーティーの特色やタイムテーブルや雰囲気など様々な要素から考えた「戦略レベル」から最適解として導き出された「作戦レベル」としての選曲の正解よりも、「綺麗なミックス」が優先される「べき」なのであろうか。

この問いは「なぜ、DJはミックスをするのか?」「なぜ、DJとセレクターの違いが存在するのか?」「DJとは?」という一見難しい問いに繋がってしまいそうではあるが、フロアを見れば一目瞭然だと思われる。 DJに「綺麗なミックス」が求められるのは、単にフロアが踊り続けているからである。

そもそも、ミックスに必要とされる要素であるキックの配置やBPMの一致など、ほとんどその全ては、フロアが「踊り続ける」ために無駄に違和感を与えない為に必要な要素である(しかしながら、ある種の違和感がフロアに与える特別な影響もある)。それらが必要最小限に満たされなければ、フロアは踊り続けることができない。フロアを踊り続けさせる為に、戦術レベル(ミックス術)の要求は、作戦レベル(選曲)に影響を与える。しかしその上でも、選曲に与えられている自由度はまだまだ多く存在する。そして、またその拘束をネガティヴに捉えるべきではない。その戦術レベルでの要求という縛りがあるからこそ、選曲はフロアを躍り続けさせるという本来の目的から逸脱することがなくなるからだ。それは、選曲の思考が常にミックス術の要求に隷従しているからだ。

では、アニソンDJにおいてはどうであろうか。

戦術レベル(ミックス術)と作戦レベル(選曲)はどのような関係にあるのであろうか。

アニソンには2つのレイヤーがあることはすでに指摘した。アニメのレイヤーと楽曲のレイヤーだ。あらためて、この2つのレイヤーが選曲やミックスにどう影響を与えるか、考えてみたい。

アニメのレイヤーはミックスの行い易さには関係がない。これは考えてみれば当たり前のことだ。幼女向け魔法少女アニメの楽曲と大人向け難解ロボットアニメの楽曲であっても、BPMやキーなどミックスに必要な諸条件が合えば、ミックスは可能である。楽曲のアニメのレイヤーはミックス術には関係しない。そして、楽曲のレイヤーはミックスに当然、直接影響を与える。
アニメのレイヤーは選曲に影響を与えうる。そして、楽曲のレイヤーはミックスのし易さを通じて、間接的に影響を与える。

ちなみに、アニソン以外の楽曲にも2つ目のレイヤーは存在することはすでに書いた。作曲者、ジャンル、制作年、その他、その曲にまつわる楽曲そのものが内包しないその他の情報だ。そのレイヤーも選曲にのみ影響を与える。
この2つに違いはあるのだろうか。

これら楽曲が内包する音楽性ではない情報は、「フロアの共有度合い」「強度」によって、拘束の度合いが変化すると、すでに考察した。

多くのアニソンDJが活躍する場である「アニクラ」では、どうであろうか。

アニクラにおいて、アニメの知識はかなり強くフロアで共有され、かなりの強度を持っていると思われる。それも、おそらくは他のジャンルと比較にならないくらいに。

したがって、アニクラでは、楽曲におけるアニメのレイヤーが選曲を強く強く拘束する。

この拘束が、俗にアニソンDJや一部のフロアで共有されている「監督つなぎ」「制作会社つなぎ」「ゲロを吐いた女の子が出てくるアニメつなぎ」などの『アニメつなぎ』という拘束である。アニクラにおいて『アニメつなぎ』は選曲を強く拘束する。その拘束の強さは、ミックス技術が要求するそれよりもはるかに高い場合が往々にして、ある。

では、アニソンDJはミックスよりも選曲を重視してもいいのだろうか。一般的なDJのセオリーを無視して、そうすべきなのであろうか。

その難しい問いは、先ほどもそうしたようにフロアを見ることで解決すればいいと思う。

あなたが見るアニクラのフロアは何を求めているのであろうか。「踊り続けること」であろうか。それともそれ以外であろうか。

もし、あなたの「アニクラ」のフロアが「踊り続けること」を希求するのであれば、ミックスを優先して選曲を行えばいいだろう。
もし、あなたの「アニクラ」のフロアが「それ以外」を求めているように見えるのであれば、端的に言ってミックスよりもアニメのレイヤーを重視して選曲すればいいだろう。

ミックスの良さ=踊り易さは、楽曲に内包するものから生じるので、フロアの知識量や経験値に依存しない。きわめて「踊る」「体を動かしやすい」という身体的なものである。ゆえにフロアに知識の共有やそれに由来する拘束が強くなされない「一般的な」クラブでは、ミックスの良さがDJ術において上位概念となる。

しかし、アニクラでは、必ずしも身体的なものが上位概念とはならない。まず多くの場合、「アニメ」が好きな人たちがフロアを占めているので、知識を前提とする「アニメ」というレイヤーが非常に共有されやすい。そして、それはVJによる具象的な映像・空間演出によってさらに強化される。そして、具象的な映像は踊る足を止める傾向にある。結果、クラブを支配する身体的快楽を薄くする。

このようにして、アニソンDJにおいて、ミックス術と選曲の上下関係が逆転が起こりうる。

フロアにおける「知識」の共有という一体感が「踊る」という身体的快楽を上回るその時にそれは発生する。

アニクラの専門用語で言うところの、「わかる」「それな」である。

したがって、アニクラにおいては、戦略(DJ社交術)>作戦(DJ選曲術)>戦術(ミックス術)という概念の上下関係が成り立ちやすい事が想定される。それにより、一般的なクラブより、戦略レベルの優越がDJプレイの良し悪しを大きく左右するのではないか?という仮説が成り立つが、いかがであろうか。

この仮説に関しては、有識者の見解を待ちたいと思う。

次回はアニクラにおけるオタクの身体性の逆襲としてのオタ芸、テキーラ、絶叫について考察したいと思う。嘘です、そんなのしたくないです。

(おわり)