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リア二に半日だけ参加した僕がリア二の感想を語るというそれでも馬のションベンくらいの価値しかないブログ

2017年7月1日・東京都議会選挙の前日。東京はお台場潮風公園でリア二10が開催されたので、遊びに行ってきました。

 僕は、過去のリア二に行ったこともないし、今回のリア二10も2DAYSのうちの1日目のみ、しかも途中参加!!なので、リア二が「本当は」どんなイベントだったのかを語る術は依然として少ない。非常に少ない。

 

とはいえ、リア二10は最高でした!!!!!

潮風公園、大正解!!!

もう最高!

野外という開放感!!

広大なフリースペース!!

1日目は雨混じりという野外ならではの悪環境だったかもだけど、、参加者の皆さんはそれすら楽しんでいたと思う。

僕はといえば、現地に着くなり設置したキャンプ用の椅子に体を沈み込ませ、サンダル脱いで、リラックスモードで、氷ごと水筒に入れたモヒートを飲みながら、サイレントステージのDJをイヤホンで聞きながら、もうここがホームだとばかりに、うとうとしていた。目当てのDJに大騒ぎし、サプライズに歓声をあげ、会場を所狭しと走り回る後藤王様さんと乾杯し、夕日を見ながらエモい話をしたりした。

そもそも、昼間っから飲むビールやおいしい食事(僕が食べたサンドイッチやエジプト料理はどれも納得価格で美味しかったし、ビールも500円、モヒートも500円ってすごく良心的だと思う)だけでも満足なのに、好きな音楽が常にかかり、馴染みの仲間と心置きなく喋ったり、SNSでしか知らないような意外な人や憧れのDJとお会いできたり……と、普段のクラブでは味わえない醍醐味と開放感がそこにはあった。これは、もうあの季節の、あの潮風公園でしか味わえない良さだったろうし、それを生かしきったリア二は大勝利だし、本当に「粋」だと思う。

僕は参加しなかったけど、2日目は、それはそれは暑かったろうとは思うが、天候にも恵まれたし、夕日や虹などが織りなす自然のエモさも味方して、野外って最高!!!って感じになったと思う。

 

リア二、最高!!!!!

 

これは強く言っておきたい。

 

こんなイベントはリア二だけ!!

他にはないと思います。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて。

参加する以前から、リアニメーションというイベントが、この10回目という記念すべき回に、「変わる」という確信に近い予感はあった。

なぜなら場所が変わったからだ。

リア二は、中野や新宿などの今までの場所とそのアドバンテージを捨てて、次を目指して、より広い場所を求めた。

 

僕は、DJイベントは「場所(ハコ)」と「出演者」で大きく変わると思っていて、その次の要素として、コンセプトだとかのオーガナイザーの手腕が来ると思っている。

「場所(ハコ)」の影響は極めて大きい。

例えば、過去にあったイベントを再現しようと試みるとわかりやすいと思う。

「出演者」はブッキングできれば、同じメンバーを揃えることができる。その上で、「あの時のようなプレイで」とお願いすることもできる。再現可能性が高い。

コンセプトはパクることが可能だし、オーガナイザーが違っていても、大多数の参加者はそこまでは気にしないと思う(いや、本当はオリジナルのコンセプトにはオーラが宿り、参加者はオーガナイザーをこそ信頼していると思いたいが)。

だが、「場所(ハコ)」は、その「場所(ハコ)」でないと再現がむつかしい。まず、スピーカーやアンプなどの機材、箱の形状、立地条件による集客の影響、その場所(ハコ)が持つ過去の歴史やそれから生ずる「意味」……それら全てを、他の場所に再現することは不可能だ。

つまりは、その場所でやるということは、望む望まないとにかかわらず、その場所の「音」でやるということであり、「歴史」や「意味」を背負うってことなのだ。

これは、野外イベントであっても変わらないと思う。

確かに、野外の場合、機材は持ち込みで行うので、スピーカーやアンプの組み合わせを他の場所で再現することは可能だろう。しかし、その空間やその空間を取り巻く環境は、やはり「場所」特有のものとなって来るため、同じ機材でも「音」は変わってきてしまう(ビルの谷間と、草原や海辺でやるのでは、音が変わってしまうというのは簡単に想像できるだろう)。ましてや、野外の場合、どうしても外部の目に触れる機会が飛躍的に多くなってしまうため「歴史」や「意味」がクラブでやるより外部から流れ込んできてしまう。ましてや、東京は地名が持つイメージがとても強いように思うので、そういう意味での要素も強くなると思う(例えば、アニクラを下北沢に作るのはなんか違うとかそういう感じ。よそ者なのでよくわからないんですが)。

……前説が長くなってしまいました。

そんな理由から、「場所」が変わる以上、リア二は変わる……変わらざるを得ない。

そう確信していた。

では、どう変わるのか。

それは 肩書きにもすでに現れていた。

リア二10以前には、中野や新宿など、その土地土地と関係を築いてきたリア二は自らを「超都市型野外音楽パーティー」と称してきた。

だが「潮風公園」は、少なくとも「超都市型」ではない。

そして、実際にリア二10は「都市型野外DJイベント」へと肩書きを変化しています(公式HPより)。

 

「超都市型」野外音楽パーティーから「都市型」野外DJイベントへ。

 

小さな変化のように見えますが、リアニにどういう変化をもたらすのでしょうか(って書いてて、音楽パーティーからDJイベントへの変化の方が気になってきましたが、ここでは割愛します)。これが僕の関心ごとの一つでした。

 

結果として、リア二は変わったと思います。

 

ここで、もう一度念を押しておきますが、僕はリア二に行ったのはこれが初めてです。だから、このブログはあくまで僕個人の感想以上でも以下でもなく、価値としては馬のションベン以下なのです。

 

まず、音が大きくなりました。

前回に比べ、大きくなってるはずです。

特にメインは、音が大きくなっていると思います。

低音もズンドコ鳴っているはずです。

付近住民が少なく、しかも許可を受けた公園で行う野外イベントなんです。都市の真ん中でやるより、音量の制約が少なくなったであろうことは想像に難くありません。

これは、音を最大の売りとするDJイベントとしては、文句なく良いことでしょう。

 

そして、もう一つ。

都市から離れた結果、「外部」との関係は以前より希薄になったと思います。

「外部」とは望んで「会場」に来た以外の人たち。例えば、そこに住む人や、偶然通りがかった人、そこを職場にしている人、そういう人たちのことです。アニクラ界隈以外の人たち、と言ってもいいでしょう。

リア二10は、会場全体を囲うフェンスはなく、外から自由にアクセスできるので、そういう意味ではかなり深いところまで外部の人が紛れ込む余地はあります。それでも、立地上、そもそも偶然通りかかる人が少なく、そこに元から住んでいる人も少ないわけで、結果として、外部からの目を気にしなくてもいい環境に、リア二10はあったと言えるでしょう。

この環境の変化に一番晒されるのは、実は「運営」「スタッフ」ではないでしょうか。

今までのリア二では、付近住民など「外部」が持ち込んでくる「規律」を、調整するという位置づけが「運営」という存在だったわけです。

ところが、リア二10からは、外部の目が感じられなくなったことで、外部という存在が希薄に感じられるようになったことで(外部がなくなったわけではない)、「規律」を持ち込む存在が「運営」だと位置づけられてしまうことが多々あったのではないか?と想像するわけです。

つまり、運営が「あちら側」と、参加者が感じることが多く鳴ってしまったのではないか?ということです。

 

幸い、僕が観測する範囲では、運営の不備を表立って糾弾するようなツイートや現場は見かけませんでしたし、リア二というみんなのイベントを運営の人たちは一生懸命に作ってくれていたと思います。

そして、そもそもリア二の運営がいわゆる「運営」ではなくボランティアで構成されており、紛れもない「こちら側」であることを僕は知っています。多くの参加者もそうだと思います。

ただ、「場所」が変わったことにより、結果として、それらボランティアの方々が、より厳しい目で見られてしまう(つまりは、俗に言う「運営」として。あるいは、プロのスタッフとして)可能性が増してしまっているのではないかと危惧しています。

そして、それは今後、参加者が増えて来るにつれ、その傾向は強くなっていくのではないかと思われます。

 

それは、その方が多くの参加者にとって「一般的」だからです。

参加者と運営側が一緒に「みんなで」作る機会より、誰かプロの人たちによって出来たサービスをただ享受することの方が、断然多いからです。

 

リア二はレイヴだと思います。

レイブ (音楽) - Wikipedia

 

主催のちへさんからもレイヴという言葉が出ますし、クラウドファウンディングによって無料開催を目指すその資金形態や、ボランティアによって構成される運営形態は、やはりレイヴ、それもその発祥の形に近いフリーレイヴに属すると言えるでしょう。

しかし、レイヴということを表立ってリア二が謳うことはなかったと思います。それくらい、レイヴという言葉は普及していないし、同時にレイヴという文化は定着していません。

 

そして、今回、リア二10は、その資金源であるクラウドファウンディングの結果によって、「有料」部分を作らざるを得なくなってしまった。

そのことにより、こちら側とあちら側が、参加者の中に発生してしまっていて、それが柵が仕切られてしまっていた。

これはどうしようもない現実で、参加者は常に物理的にそれを意識することを強いられてしまっていた。

そして、その壁の横に実際に立つのは「運営」の人間なのです。その現実を壁とともに、ボランティアのスタッフの人たちは図らずしも象徴してしまう。

 

レイヴに対称的に存在するものとしてはフェスが挙げられると思う。

フジロックサマソニなどが代表する、あのフェスである。アニメ関係でも色々あると思う(僕はとてもそこらへんに疎いんだけど、アニメロサマーライブとか?)。

リア二10は、リア二のレイヴとフェスの間にあるその危うさを、あの柵によって目に見える形にしてしまったと思っている。それはクラウドファウンディングの結果だ。仕方がないことではある。そして、クラウン度ファウンディングである以上、ある意味、クラウドがそれを望んだと言うことでもある。

そして、音のことや権利問題など様々な理由があったんだとは思うが、メインステージの囲われ感は、特にその現実を感じさせてしまっていた。その囲われ感は、フリーの参加者たちに疎外感を感じさせただろうし、「あちら側」と「こちら側」の間に(とても安い破格の金額とはいえ)お金があること意識させたと思う。

 

 

そして、それらの柵が最後まで壊されなかった事が、良くも悪くも今後のリア二を象徴していくのだと思っている。

 

 

そして、それらが示す方向性は「出演者」にも出ていたと思う。

僕はその方向性自体は正しいと思っています。

リア二10はネクストを示した。

そう思います。

 

 

 

 

 

あと、これは考え方の違いかもしれませんし、試行錯誤の経過なのかもしれませんが、気になったことがあります。

僕がイベントを作るときには、メインステージとかセカンドステージという言い方はなるべく避けました。メインやセカンドという順番ではなく、僕は、それぞれに求められる役割が違い、その役割の違いによって求められる音が違うだけだと思っていたからです。

リア二10は、音量によって、メインとセカンドがはっきりと格差づけられていました。同時に、求められる役割によってステージが割り当てられていたとは僕には思えなかった。そこがとても気になったし、ちぐはぐに感じられました。

それらが合致していたのはサイレントステージことカザナミパリピ道ブースだったと思います。僕はあのステージが大好きです。

これは少し、個人的に残念だったことです。