アニクラはじめました

読む ANIMARKE SYSTEM

6日目

エウレカセブンアマゾンプライムで見ています。レンタルDVDのように借りてこなくてもいいし、DVDディスク替えなくてもいいし、返しに行かなくてもいいし、アマゾンファイアータブレットで見ると部屋のどこでも見れるので、アニメをながら見するには最高です。

アマゾンプライム最高!

と、またアマゾンプライムの話になりそうでした。

エウレカセブンです。

エウレカセブンって、内容はこの際、端折るんですが、主人公がひょんなことからゲッコーステイツっていう秘密組織の一員になる話なんですが、このゲッコーステイツがもう秘密組織すぎて、もう何もかも秘密なんです。そして、その秘密組織の首領が最高に秘密主義者で、肝心なことはなに一つ喋らないと言う秘密っぶり。

その秘密主義のおかげで、起こる事件のほとんどが、「それ、早く言ってよ!」のオンパレード。よくこんな組織にみんな所属してるなって思うんですが、そもそも目的が秘密であっても気にせず組織に入っちゃうような人たちばかりで構成されているので、誰も気にしません。

気にしてる主人公と観客だけが、ひたすら「早く言ってよ!」とイライラするという話の構造になっています。

結局、それらの秘密は組織のナンバー2から、およそ20秒で説明されてしまうのですが、その時の附の落ちようと言ったら、もう自由落下速度を優に超えるスピードで、思わずスッキリしてしまいます。

そこからの展開は、blood Cの最終回もかくやのスピード展開なので、世界名作劇場小公女セーラの最終回にカタルシスを覚えた系の人は見てください。

 

さて、エウレカセブンも、エヴァンゲリオンの後に作られたアニメでして、「あー、こういう勿体ぶったアニメ多かったよなー」という既視感に襲われます。当時は、思わせぶりだったけど、終わってみると大したことは何にもなかったなーとか、驚きのビックリドッキリメカで超展開!とかいう話が結構多くて、時代を感じさせます。

例えば、粒子物理学を引用して「宇宙の目」に干渉することによって、宇宙を意のままに操るのだ!とか悪の科学者が言ったら、本当に宇宙のど真ん中に大きな眼球が出てきたりすると、もうツッコミが追いつきません。後出しジャンケンというか、石と紙とハサミの戦いにいきなり4号戦車が出てくるようなもんです。

今のオタクコンテンツ的には、さすがにエヴァンゲリオンのような設定後出しじゃんけん祭りみたいな話は少なく、例えば「ジョジョの奇妙な冒険」や「ハンターハンター」「Re:ゼロから始める異世界生活」「ノーゲームノーライフ」や「デッドオアアライブ」みたいに、世界の常識を共有したところで「さぁ、一緒に考えよう!」という一見フェアな構造のストーリーテリングが流行りのような気がします。

こうして列挙して見ると、内容的にもゲームを意識したものが多く、さらにはループ構造を内包したものまであるので、こういうのもゲーム的なリアリズムと言ってもいいんじゃないかな?とか思ってしまいます。知りませんが。

ところで、ヒロインのエウレカって作画が良い以外はあまり魅力がある演出をされていないキャラなので、今見ると不安になるのですが、大丈夫でしょうか。

というか、今の過剰なキャラ描写に慣れちゃってるのかもしれませんね。

今、古いガンダム見たら、シャクティ・カリンやカテジナ・ルースさん、ルー・ルカニナ・パープルトンにヒロインとしての魅力は感じないかもしれません。

オタクの業を感じますね。

 

 

 

5日目

クラブでかかる音楽、ダンスミュージックは「ループ音楽」というそうです。

あんまり聞きなれない言葉なんですが、なんかちょっとした音楽理論の本に、そう書いてありました。

クラシックとかダイナミックレンジがすごく広いです。FMラジオでクラシックとか聞いてると、「あれ?なにも聞こえない?」とボリュームあげるとびっくりするほど大きな音が鳴って、あわてて音量を下げるなんて経験あると思います。小さな音と大きな音の差が大きいんです。これを「ダイナミックレンジは広い」とか言うとかっこよくないですか?

JPOPとかロックとかアニソンとか、とにかくそういうのって、ダイナミックレンジが狭いです。大体最初から終わりまで音量がそこまで変わらない。ずっと大きな音が続く。

謡曲は全部サビ

そんな風に言う人もいます。ようは、クラシックと比べると、歌謡曲は最初から最後までクライマックスってことですね。

 

で、クラブミュージック。

クラブミュージックはループ音楽です。

おんなじことの繰り返しです。

その繰り返しの中で、ちょっとづつ変化していきます。

まぁ、黎明期のクラブミュージックを作るための機材があまりにもプアだから、そりゃ繰り返しにもなるし、ちょっとづつしか変わらないってもんです(機材がリッチになり、DAWになっても、未だに64ステップ4小節単位で展開が変わるもんね)。

そのちょっとした変化に「おおお」ってなります。なにが「おおお」なのか、よくわかりませんが。でも、「おおお」ってなるんですね。

でも、このクラブミュージックは、基本ループ、同じことの繰り返し、ちょっとの変化で「おおお」ってなるってことは、他の音楽と比べる時、全ての基本になると思います。

これを繰り返される日常と比べたり、ゲーム的リアリズムとか引っ張って来ると香ばしいのが書けそうですけど、しません。

ライヒのドラミングとか、ミニマルミュージックと比べると面白そうですけど、それもできません。

さて、なんせ、繰り返しですから、展開がゆっくりです。クラブミュージックはDJのために基本作られているので、他の曲へと繋ぐこと前提で作られているのですが、展開がゆっくりってこととあわせて考えると、イントロだけの曲とか、サビだけの曲とか、アウトロだけの曲とかあるんじゃねーの?となるわけです。

たぶん、こういうのを感じてDJすると、「すごい!DJプレイ通して一つの曲のようだった!」とか言われるようになるんだと思う。

僕はできませんけど。

 

ちなみに、ブレイクって、多分、そのゆっくりとした展開を早めるために時間の進み方を折りたたんで早回しにしましたよ っていう合図なのかなと思います。ブレイク考えた人天才ですね。理に適っています(単に機材のループ機能だとか言わない)。

 

というわけで、ここで話題を変えますけど、アニソンは明らかに1曲に構成がある歌謡曲なので、クラブミュージック的な公式は通用しないのは明らかで、「違うやり方」が求められるのも当たり前ですね。

もちろん、楽しみ方もクラブとは「違う」わけです。

これはいい悪いではなく。

 

あ、逆にクラブミュージックでも1曲の中にイントロサビアウトロみたいな展開があるダンスミュージックは、つなぎがアニソンDJみたいになるのかな?って思います。

 

 

※上に書かれていることは何の裏付けもなく、僕の感覚的な感じで書かれています。信用しないように。

 

 

 

 

 

 

 

4日目

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NOMINEが名古屋に来て、ワークショップとDJをしてくれました。

NOMINEのワークショップは90分とは思えない密度の濃さでした。なんてことのないプリセットのキックを並べるところから、これぞ、NOMINEサウンドがわかりやすい理論に基づいて、どんどん出来上がっていく様を、目の当たりにして、とりあえず、驚くことしか来ませんでした。

ワークショップ自体、驚きに満ちた1つのプレイでした。

そのプレイを、ノートに書き記しながら、あるいはパソコンを広げながら、食い入るように真剣に耳を傾けるフロアという風景も、新鮮でヴァイブス溢れる光景でした。

いつもそうなんですが、このイベントに関しては、ほんとに様々な人たちが協力してくれて、いいイベントにしようと動いてくれました。

本当にありがとうございました。

名古屋でないと出来ないイベントだったと、胸を張って言えます。

そして、たくさんの人から、よかったよと声をかけていただきました。

 

でも、このイベント、大成功だった!とはまだ、僕は言いません。

あの場にいた人がNOMINEの伝えてくれた技術や思想を受け取って、自分のものにして、自分の表現となって出て来た時に、それがあの場にいなかった人にまで伝わって行った時に、はじめて大成功だったと言えると思うんです。

「自分のものにして」です。

サンプリングそのままじゃダメだって、NOMINEも言ってましたよね。

そんな種が一人でも、1つでも、名古屋にまかれてるといいな。と願っています。

昨日、あのフロアにいた人が一人でも多く、DAWを立ち上げてるといいなと思っています。

 

あ、もちろん、僕も含めて。

 

 

でも、今日は寝かせて……お願い……

 

3日目

作法って大事ではないでしょうか。

こう来たらこう

ああ来たらこう

そう言う技術体系の積み重ねが作法というやつです。

全てのことは突然起こります。

「ああ、そろそろ来るな」と前兆を感じてはいても、「その時」はやはり突然来ます。

その突然に、とっさに対応するための知恵の蓄積が「作法」です。

ある日来る「突然」に、その突然さゆえに思考を奪われてしまった時、体を動かすのは「作法」です。

みなさんも、いつか来る「突然」のために「作法」を身につけましょう。

 

今日、提案したいのは、現代に必要とされる作法

ツイッターでブロックされた時の作法」

です。

 

 

ツイッターをしていて、突然、「あれ? あの人最近TLで見ないな?」なんてことになります。

あるいは、他の人の公式RTで「このツイートは見れません」とか表示される。

 

あれ? おかしいな

 

クライアントを変えたり、サブアカウントに移行したりして、原因を追求します。そして、「突然」あなたはブロックされたことを知ります。

 

まずは深呼吸しましょう。

一般生活に例えると、会社の同僚にいきなり殴られたようなもんです。

カッとなるのも当然ですが、まずは落ち着きましょう。

なんせ、あなたが起こすとっさの行動をみんなが見ています。SNSですから。そのことを意識してまずは落ち着きましょう。

 

次に相手との関係性を検証しましょう。

リアルで会ったことがあるかないか

今後会う可能性はないか

SNS上で利害関係はあるか。

他の人からはどのような関係で見られているか。

様々な角度から検証しましょう。

次に、相手との関係の修復の可能性。

もしかすると誤解か何かかもしれません。

 

次に、なぜ「ブロック」なのかを考えましょう。

ミュートでもいいはずです。

ミュートなら、ほぼ相手に知られることはありません。相手に知られないまま、相手を完全に無視しシカトし自分の世界から消すことができるのです。

リプライやDMでもいいはずです。

リプライなら他の人にも見られる公開の状態で、DMなら他の人には見られず非公開の状態で、相手に不快感を伝えることができます。

なぜブロックなのか。

ブロックとは、

1)あなたの言葉が相手にとって「消したいもの」であり、

2)あなたは、会話をしたくない相手であり、

2)なおかつ、「消したこと」「会話をしないこと」を相手に伝える行為

です。

そして、なぜ相手がその行為に至ったのか。相手の立場になって考えましょう。必ず理由があるはずです。

 

落ち着きましたか?

相手との関係性を、過去現在未来に渡って考えましたか?

相手の立場になって考えましたか?

 

それでは、

全力で殴り返しましょう。

 

対話の可能性なんてどうせゼロです。

何を言っても届きません。

対話の可能性のない相手に、言葉しかない世界で何ができるって言うんですか。

 

言葉で殴りましょう。

ただし、言葉は相手には直接は届きません。

これはフォロワーに見せるための喧嘩です。

華麗に、フォームの美しいストレートでカウンターを決めましょう。

 

まれに、RTなどで相手にうっかり届く時があります。ブロックしてから、相手のことを見に来る人とか結構いるみたいです。そのことも少しだけ意識してもいいかもしれません。なんらかの抑止力をチラつかせるのもいいかもしれませんね。こちらから見えないのをいいことに色々言ってるかもしれませんから、それを抑止することができるかもしれません。

 

SNSなので、全ては多くの人に見られています。

そのことを意識して、しつこくない程度に、できるだけ重い一撃をさくっと撃ちましょう。

 

そして、なにごともなかったかのように、いつものツイートに戻りましょう。

 

しつこいのは粋ではありません。

 

 

 

 

 

 

2日目

アニソンのインスト抜き

リミックスの下ごしらえです。

マッシュアップにもどうぞ。

 

材料(1人前)

アニソン       

アニソンのインスト

DAW

 

 

1 

DAW上でアニソン(ボーカル入り)とインスト(ボーカル抜き)を上下に並べます

 

DAWの表示をできる限り拡大し、波形を見てタイミングをぴったり合わせます。

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どちらか一方を位相反転します。位相反転の仕方はDAWによって違います。

studio one 3だとmixtoolで行います。

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再生するとあら不思議。ボーカルだけになります。

 

一度、この時点で書き出します。

 

微妙にキックとかギターとかが残っているのを、ノイズ除去で綺麗にします。

audacityなどのフリーソフトでもできます。

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コツ・ポイント

タイミングはきっちり合わせてください。たまに、LR反転しているインストやBPMが微妙に違うインスト、もうマスタリング違うんじゃね?というインストもあります。

 

このレシピの生い立ち

sleepfreaks-dtm.com

1日目

今、せっせとアマゾンプライムで「エウレカセブン」見てます。

エウレカセブン

当時見た人は衝撃受けただろうし、未だに名作の誉れ高いエウレカセブン。映画も公開されてますね。エウレカセブンで人生狂ったって人もいるみたいだし(パチンコエウレカセブンを除く)、せっかくだから見てみようと思ったわけです。今はじめて見るってなると、違う感想もあるだろうし。

で、アマゾンプライムでエウレカ見始めたわけです。

アマゾンプライムで家事しながらアニメ見るのって、すごく捗るので素敵なんですが、なんせ「ながら見」なので、なかなか難しいのは敬遠してたんですよ。キンドルファイアーで見てるから、音も聞こえにくいし。

だからぬるいアニメから見てたんですが、この度、ブルートゥースイヤホンをアマゾンで2000円くらいで買ったので、意を決して難しいアニメも観れる環境が整ったってわけです。

って、さっきからアマゾンの話しかしてませんね。

 

\ アマゾン万歳!! /

 

まぁ、イヤホン買うのも、それなりに葛藤があったわけで。ブルートゥースって言ってもむせんだからそんなに音良くないだろうし、それならそんなに高いお金出したくないし……でも安いイヤホンなんて音悪そうだし、悪いイヤホンだとどうしても音を大きくしちゃうから、余計に耳悪くしちゃうしなぁ……

あ、そういえば、DJに安いヘッドホン使うのは本当にやめた方がいいですよ。すっごい大きな音でモニターしてる人がいるけど、それで耳、大丈夫って思いますもん。まぁ、もっともモニタースピーカーの音量がでかいと、ヘッドホンの音量あげなきゃならないってところもありますけどね。だから、モニタースピーカーの音量をDJミキサーでいじれるところは本当にありがたいです。まぁ、dominaのことですけど。

いいヘッドホン使うと、音量下げれます。多分、解像度?がいいんだと思うんですけど、そこまで耳がいいわけじゃないんで、よくわかりません。でも、いいヘッドホンの方が音量小さくてもイケます。

いいとはいっても、そこまでいいヘッドホン使ってるわけじゃないんですけど。

今はヘッドホンっていくらでも高いのがあるじゃないですか。10万とか20万とか。でも、そこまで高くなくてもいいと思います。でも、1万切るようなものよりは、2万くらいのやつの方が断然いい、と。

ほら、一昔前、それこそ萌えるヘッドホン読本が出た頃は、澪フォンとか高級の部類だったわけですよ。

澪フォン。

知ってます?

AKG k701

けいおん!の澪さんがしてたヘッドフォンね。当時4万くらいしてたかな。サウンドハウスでも2、3万してたような気がします。

今では1万5000円切るんじゃないかな。安くなったよねぇ。

で、今やフラッグシップモデルじゃないですし、全然、高級ヘッドホンに入らないですもんね。

いや、でもいいと思うなぁ。澪フォン。オーブンヘッドホンも一つくらい欲しいなぁ……

 

あ、話が逸れました。

だいたい、DJやってるとどうしてもでかい音を聞くことが多くなるから耳も悪くなるし……ってんで、特に安物は避けようって思ってたんですが、なんつーか……ほんとすいません。

あまりに安いんで、つい買っちゃいました。

買ってみるとやっぱ便利です。ブルートゥースイヤホン。

コードがないから自由です!

自由!

なんてすばらしい!

ま、それでも耳が悪くなるのはやっぱり嫌なので、なるべく小さな音で聞くようにします。

でも、難点は電子レンジ使うと接続がぶちぶち切れるってところで。料理しながら使うのはやっぱり問題がありそう。

まぁ、そんなに電子レンジ使うわけじゃないんですけど。

はい。

 

で、なんの話だっけ?

 

 

リア二に半日だけ参加した僕がリア二の感想を語るというそれでも馬のションベンくらいの価値しかないブログ

2017年7月1日・東京都議会選挙の前日。東京はお台場潮風公園でリア二10が開催されたので、遊びに行ってきました。

 僕は、過去のリア二に行ったこともないし、今回のリア二10も2DAYSのうちの1日目のみ、しかも途中参加!!なので、リア二が「本当は」どんなイベントだったのかを語る術は依然として少ない。非常に少ない。

 

とはいえ、リア二10は最高でした!!!!!

潮風公園、大正解!!!

もう最高!

野外という開放感!!

広大なフリースペース!!

1日目は雨混じりという野外ならではの悪環境だったかもだけど、、参加者の皆さんはそれすら楽しんでいたと思う。

僕はといえば、現地に着くなり設置したキャンプ用の椅子に体を沈み込ませ、サンダル脱いで、リラックスモードで、氷ごと水筒に入れたモヒートを飲みながら、サイレントステージのDJをイヤホンで聞きながら、もうここがホームだとばかりに、うとうとしていた。目当てのDJに大騒ぎし、サプライズに歓声をあげ、会場を所狭しと走り回る後藤王様さんと乾杯し、夕日を見ながらエモい話をしたりした。

そもそも、昼間っから飲むビールやおいしい食事(僕が食べたサンドイッチやエジプト料理はどれも納得価格で美味しかったし、ビールも500円、モヒートも500円ってすごく良心的だと思う)だけでも満足なのに、好きな音楽が常にかかり、馴染みの仲間と心置きなく喋ったり、SNSでしか知らないような意外な人や憧れのDJとお会いできたり……と、普段のクラブでは味わえない醍醐味と開放感がそこにはあった。これは、もうあの季節の、あの潮風公園でしか味わえない良さだったろうし、それを生かしきったリア二は大勝利だし、本当に「粋」だと思う。

僕は参加しなかったけど、2日目は、それはそれは暑かったろうとは思うが、天候にも恵まれたし、夕日や虹などが織りなす自然のエモさも味方して、野外って最高!!!って感じになったと思う。

 

リア二、最高!!!!!

 

これは強く言っておきたい。

 

こんなイベントはリア二だけ!!

他にはないと思います。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて。

参加する以前から、リアニメーションというイベントが、この10回目という記念すべき回に、「変わる」という確信に近い予感はあった。

なぜなら場所が変わったからだ。

リア二は、中野や新宿などの今までの場所とそのアドバンテージを捨てて、次を目指して、より広い場所を求めた。

 

僕は、DJイベントは「場所(ハコ)」と「出演者」で大きく変わると思っていて、その次の要素として、コンセプトだとかのオーガナイザーの手腕が来ると思っている。

「場所(ハコ)」の影響は極めて大きい。

例えば、過去にあったイベントを再現しようと試みるとわかりやすいと思う。

「出演者」はブッキングできれば、同じメンバーを揃えることができる。その上で、「あの時のようなプレイで」とお願いすることもできる。再現可能性が高い。

コンセプトはパクることが可能だし、オーガナイザーが違っていても、大多数の参加者はそこまでは気にしないと思う(いや、本当はオリジナルのコンセプトにはオーラが宿り、参加者はオーガナイザーをこそ信頼していると思いたいが)。

だが、「場所(ハコ)」は、その「場所(ハコ)」でないと再現がむつかしい。まず、スピーカーやアンプなどの機材、箱の形状、立地条件による集客の影響、その場所(ハコ)が持つ過去の歴史やそれから生ずる「意味」……それら全てを、他の場所に再現することは不可能だ。

つまりは、その場所でやるということは、望む望まないとにかかわらず、その場所の「音」でやるということであり、「歴史」や「意味」を背負うってことなのだ。

これは、野外イベントであっても変わらないと思う。

確かに、野外の場合、機材は持ち込みで行うので、スピーカーやアンプの組み合わせを他の場所で再現することは可能だろう。しかし、その空間やその空間を取り巻く環境は、やはり「場所」特有のものとなって来るため、同じ機材でも「音」は変わってきてしまう(ビルの谷間と、草原や海辺でやるのでは、音が変わってしまうというのは簡単に想像できるだろう)。ましてや、野外の場合、どうしても外部の目に触れる機会が飛躍的に多くなってしまうため「歴史」や「意味」がクラブでやるより外部から流れ込んできてしまう。ましてや、東京は地名が持つイメージがとても強いように思うので、そういう意味での要素も強くなると思う(例えば、アニクラを下北沢に作るのはなんか違うとかそういう感じ。よそ者なのでよくわからないんですが)。

……前説が長くなってしまいました。

そんな理由から、「場所」が変わる以上、リア二は変わる……変わらざるを得ない。

そう確信していた。

では、どう変わるのか。

それは 肩書きにもすでに現れていた。

リア二10以前には、中野や新宿など、その土地土地と関係を築いてきたリア二は自らを「超都市型野外音楽パーティー」と称してきた。

だが「潮風公園」は、少なくとも「超都市型」ではない。

そして、実際にリア二10は「都市型野外DJイベント」へと肩書きを変化しています(公式HPより)。

 

「超都市型」野外音楽パーティーから「都市型」野外DJイベントへ。

 

小さな変化のように見えますが、リアニにどういう変化をもたらすのでしょうか(って書いてて、音楽パーティーからDJイベントへの変化の方が気になってきましたが、ここでは割愛します)。これが僕の関心ごとの一つでした。

 

結果として、リア二は変わったと思います。

 

ここで、もう一度念を押しておきますが、僕はリア二に行ったのはこれが初めてです。だから、このブログはあくまで僕個人の感想以上でも以下でもなく、価値としては馬のションベン以下なのです。

 

まず、音が大きくなりました。

前回に比べ、大きくなってるはずです。

特にメインは、音が大きくなっていると思います。

低音もズンドコ鳴っているはずです。

付近住民が少なく、しかも許可を受けた公園で行う野外イベントなんです。都市の真ん中でやるより、音量の制約が少なくなったであろうことは想像に難くありません。

これは、音を最大の売りとするDJイベントとしては、文句なく良いことでしょう。

 

そして、もう一つ。

都市から離れた結果、「外部」との関係は以前より希薄になったと思います。

「外部」とは望んで「会場」に来た以外の人たち。例えば、そこに住む人や、偶然通りがかった人、そこを職場にしている人、そういう人たちのことです。アニクラ界隈以外の人たち、と言ってもいいでしょう。

リア二10は、会場全体を囲うフェンスはなく、外から自由にアクセスできるので、そういう意味ではかなり深いところまで外部の人が紛れ込む余地はあります。それでも、立地上、そもそも偶然通りかかる人が少なく、そこに元から住んでいる人も少ないわけで、結果として、外部からの目を気にしなくてもいい環境に、リア二10はあったと言えるでしょう。

この環境の変化に一番晒されるのは、実は「運営」「スタッフ」ではないでしょうか。

今までのリア二では、付近住民など「外部」が持ち込んでくる「規律」を、調整するという位置づけが「運営」という存在だったわけです。

ところが、リア二10からは、外部の目が感じられなくなったことで、外部という存在が希薄に感じられるようになったことで(外部がなくなったわけではない)、「規律」を持ち込む存在が「運営」だと位置づけられてしまうことが多々あったのではないか?と想像するわけです。

つまり、運営が「あちら側」と、参加者が感じることが多く鳴ってしまったのではないか?ということです。

 

幸い、僕が観測する範囲では、運営の不備を表立って糾弾するようなツイートや現場は見かけませんでしたし、リア二というみんなのイベントを運営の人たちは一生懸命に作ってくれていたと思います。

そして、そもそもリア二の運営がいわゆる「運営」ではなくボランティアで構成されており、紛れもない「こちら側」であることを僕は知っています。多くの参加者もそうだと思います。

ただ、「場所」が変わったことにより、結果として、それらボランティアの方々が、より厳しい目で見られてしまう(つまりは、俗に言う「運営」として。あるいは、プロのスタッフとして)可能性が増してしまっているのではないかと危惧しています。

そして、それは今後、参加者が増えて来るにつれ、その傾向は強くなっていくのではないかと思われます。

 

それは、その方が多くの参加者にとって「一般的」だからです。

参加者と運営側が一緒に「みんなで」作る機会より、誰かプロの人たちによって出来たサービスをただ享受することの方が、断然多いからです。

 

リア二はレイヴだと思います。

レイブ (音楽) - Wikipedia

 

主催のちへさんからもレイヴという言葉が出ますし、クラウドファウンディングによって無料開催を目指すその資金形態や、ボランティアによって構成される運営形態は、やはりレイヴ、それもその発祥の形に近いフリーレイヴに属すると言えるでしょう。

しかし、レイヴということを表立ってリア二が謳うことはなかったと思います。それくらい、レイヴという言葉は普及していないし、同時にレイヴという文化は定着していません。

 

そして、今回、リア二10は、その資金源であるクラウドファウンディングの結果によって、「有料」部分を作らざるを得なくなってしまった。

そのことにより、こちら側とあちら側が、参加者の中に発生してしまっていて、それが柵が仕切られてしまっていた。

これはどうしようもない現実で、参加者は常に物理的にそれを意識することを強いられてしまっていた。

そして、その壁の横に実際に立つのは「運営」の人間なのです。その現実を壁とともに、ボランティアのスタッフの人たちは図らずしも象徴してしまう。

 

レイヴに対称的に存在するものとしてはフェスが挙げられると思う。

フジロックサマソニなどが代表する、あのフェスである。アニメ関係でも色々あると思う(僕はとてもそこらへんに疎いんだけど、アニメロサマーライブとか?)。

リア二10は、リア二のレイヴとフェスの間にあるその危うさを、あの柵によって目に見える形にしてしまったと思っている。それはクラウドファウンディングの結果だ。仕方がないことではある。そして、クラウン度ファウンディングである以上、ある意味、クラウドがそれを望んだと言うことでもある。

そして、音のことや権利問題など様々な理由があったんだとは思うが、メインステージの囲われ感は、特にその現実を感じさせてしまっていた。その囲われ感は、フリーの参加者たちに疎外感を感じさせただろうし、「あちら側」と「こちら側」の間に(とても安い破格の金額とはいえ)お金があること意識させたと思う。

 

 

そして、それらの柵が最後まで壊されなかった事が、良くも悪くも今後のリア二を象徴していくのだと思っている。

 

 

そして、それらが示す方向性は「出演者」にも出ていたと思う。

僕はその方向性自体は正しいと思っています。

リア二10はネクストを示した。

そう思います。

 

 

 

 

 

あと、これは考え方の違いかもしれませんし、試行錯誤の経過なのかもしれませんが、気になったことがあります。

僕がイベントを作るときには、メインステージとかセカンドステージという言い方はなるべく避けました。メインやセカンドという順番ではなく、僕は、それぞれに求められる役割が違い、その役割の違いによって求められる音が違うだけだと思っていたからです。

リア二10は、音量によって、メインとセカンドがはっきりと格差づけられていました。同時に、求められる役割によってステージが割り当てられていたとは僕には思えなかった。そこがとても気になったし、ちぐはぐに感じられました。

それらが合致していたのはサイレントステージことカザナミパリピ道ブースだったと思います。僕はあのステージが大好きです。

これは少し、個人的に残念だったことです。